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衝撃の告白!
T−manは昔、
マカダミアナッツも
売っていたっ!
店長の聞谷は、1970年代には商社勤務で、食品、雑貨、機械、船舶などの輸出入を担当した後、駐在でケニアへ。 そこでは商社業務よりも、マカダミアチョコレート用のマカダミアナッツを加工して輸出するための工場勤務が主体でした。
殻がついた原料豆を集めるために頻繁に産地周りをしました。 ケニアのマカダミアナッツの産地はコーヒーの産地と同じ位の標高1300m〜1800mくらいまでですが、産地周りでは山越えなどで標高2000m以上のお茶の産地や工場もしょっちゅう通っていました。 |
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当時は包装資材の質も悪く、日本までは船で40日〜60日もかかったため、輸送中に品質が悪くなってしまう事が何度もありました。
工場では○○製菓の技術者と机を並べ、食品の加工や品質保存の基礎を叩き込まれました。その後、技術者が帰国した後は工場長を経験し、6年半の任期を終えて、帰国した後は日本でマカダミアナッツの営業。 そして再びマカダミアナッツのプロジェクトでタンザニアに。
10年間のタンザニア駐在中 2年間はブラジルに設立されたマカダミアナッツの加工会社の社長を兼務。 |
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その間の20年間余り、ハワイ、オーストラリア、マラウィ、ジンバブウェ、南アフリカ、コスタリカ、ボリビア、グァテマラなど世界中のマカダミアナッツの産地や工場をまわり、技術交流、生産指導そして買い付けをしました。 |
マカダミアナッツの産地を回っていると、そこが同時に紅茶の産地でも有ることが多く、紅茶の世界にも目を向けるようになりました。そして、紅茶文化が生活に溶け込んでいる状況を見て、自然と紅茶に関する知識も身に付きました。
またインド・スリランカ・アフリカ・ヨーロッパの紅茶の専門家達との付き合いもできたところで、帰国。
やっぱり海外との仕事、そして農産品、それも産地を良く知らないと出来ない仕事と考えて紅茶屋になりました。 |
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ケニアの会社は今では従業員が2千人以上だけど、赴任したときは正社員が30人弱、タンザニアは会社の設立と農場の開拓、ブラジルも会社の設立からと、 ゼロからの仕事を何度も経験させてもらったので任期が終ったらそろそろ自分の会社を・・・ってなワケで独立しちゃったのです。
まったく、チョッと古い番組だけど「たのしい幼稚園」みたいな・・・。 |
食品の品質保存に関してナッツの業界は紅茶の世界よりずっと進んでいました。世界の紅茶の専門家と紅茶の鮮度の大切さを相互に確認し、保存技術については指導もしました。そのため、産地の茶商からはギブ・アンド・テイクで常に品質の良い紅茶を紹介されてきます。
紅茶は時間がたった方が熟成して美味しくなるという専門家がおります。 確かに紅茶によっては熟成という一理もあります。しかしそれは、熟成のための温度や湿度条件が適している場合で有って、港や倉庫などに放ったらかしとは意味が違うのです。 |
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最後までお読みいただいてありがとうございました。
紅茶、マカダミアナッツ、その他当店ならではのこだわりの商品を取り扱ってまいりますので宜しくお願いいたします。
店長 : 聞谷正人 |